#07 インドネシアの透析医療に光明を。透析の命“水”の清浄化技術を伝える臨床工学技士

上野 彰之

偕行会グループでは、海外事業の一環として、インドネシアで透析医療体制の構築に取り組んでいます。そのなかで重要な役割を担ったひとりが、臨床工学技士である上野彰之(うえの・あきゆき)です。日本とはまったく異なる環境で、妥協のない高品質の透析医療環境を築き上げてきた道のりを紹介します。

世界有数の糖尿病大国・インドネシアで透析医療を普及させるために

インドネシアでは糖尿病患者が急激に増加しており、患者数では世界ランキング上位10カ国に名を連ねています(※1)。食事は炒め物、揚げ物などが多いため、糖質や脂質の過剰摂取、また都市化が進んで運動量が減ったことなどが背景にあると考えられています。

糖尿病の合併症である慢性腎臓病が悪化すると透析が必要となりますが、インドネシアでは治療環境があまり整っていないというのが現状です。特に地方では、多くの患者が必要な透析治療を受けられず、透析患者の1年生存率は33.2%(日本は89.9%)となっています。(※2)

偕行会グループは、独自に培ってきた透析医療の技術や機器、ノウハウを駆使してインドネシアの透析医療環境を向上させるため、2016年にインドネシアの南スラウェシ州パレパレ市と「透析医療技術提供に関する覚書」を締結。

2017年より、現地のアンディマカッサウ総合病院の透析室で透析医療環境を構築するためのコンサルティングをはじめました。

透析医療においてはとても重要な、透析用の水の水質改善技術を提供するほか、透析患者に有効とされる運動療法や栄養療法のノウハウも伝えています。そのなかで、重要な役割を担うスタッフのひとりが、臨床工学技士である上野です。

偕行会では独自の技術も取り入れ高性能化した透析機器を使っていますが、インドネシアでの許認可の問題で、日本で使っている機器をそのまま導入できるわけではありません。

現地で調達できる機器と部品を組み合わせ、いかに偕行会の透析機器の水準まで高めていくかが課題となります。

上野「医学だけでなく工学の知見もある臨床工学技士は不可欠です。偕行会では、透析機器の管理はメーカーに依存せず、自分たちで工学の知識と技術を高めてきました。そのノウハウがまさに活かされる現場ですね」

国内でも最高水準と自負する偕行会の透析技術をインドネシアでも再現しようと、新天地での挑戦をはじめた上野。想像していた以上のさまざまな壁にぶつかり、乗り越えていくこととなります。

※1 IDF(International Diabetes Federation/国際糖尿病連合)の2017年資料による

※2 日本透析医学会の2015資料による

5年もつはずのフィルターが、3カ月で目詰まりを起こす環境

質の高い透析を提供するには、高度に清浄化された透析液は不可欠です。有害物質や細菌などが混入すると合併症を引き起こす原因になるため、水道水など透析に使う水をろ過して不純物を取り除く必要があります。

パレパレ市では、そもそも水道水の“質”が問題でした。日本の水道水に比べ浄水設備の水準が低いうえ、地下水を加えています。不純物が多く含まれるため、日本では5年はもつフィルターが、わずか3カ月で目詰まりを起こしてしまうのです。

ろ過装置の性能も、日本と同等のものはインドネシアでは手に入りません。しかし透析液の質だけは譲れない――そこで、上野をはじめ偕行会の臨床工学技士がもつノウハウを総動員して、機器の改良に取り組みました。

その技術の二本柱は、「エンドトキシン捕捉フィルタの設置」、そして「流水の維持」です。

エンドトキシンとは、細菌の死骸から出る毒素のこと。エンドトキシン捕捉フィルタは透析機器には不可欠なもので、偕行会では、長期間使用できるように独自の工夫を行っています。

「流水の維持」については、川の流れをイメージすると理解しやすいでしょう。よどんだ川の水は汚れやすく、流れの速い川の水は澄んでいます。上野たちは既存の透析機器の配管を工夫したり、連続運転装置を導入したりして、流水を保つ仕組みをつくりました。

これらの技術に加え、毎日の水質チェック、そして3カ月に1度、日本から臨床工学技士が出向いて機器を点検することで、大幅な透析液の水質改善を実現しました。

こうして、随所に偕行会の技術を駆使してカタチになった透析室。言葉や文化の壁があるなか、ここまでたどり着くにはたくさんの苦労がありました。

物品は不足し、工事は予定どおりに進まず、さらには細かな要求に、インドネシアのスタッフがうんざりしてしまうこともしばしば……。

上野「自分たちで組み立てれば早いのですが、私たちはコンサルティングが本分。緊急時に現地のスタッフが対応できないのは困りますから、あくまで現地の技術者にやってもらうという姿勢は崩しませんでした。

意見がぶつかり合うことも少なくありませんでした。でも、帰国の前日、夜中の1時にエンドトキシン補足フィルタの取り付けとRO水配管がようやく完成したときには、みんなで抱き合って喜びましたよ」

技術には妥協することなく、人に対してはとにかく粘り強く向き合い、困難を乗り越えていった上野。その仕事の姿勢は、駆け出しの頃に指導を受けた、ある人物の影響が大きいといいます。

患者様のために、妥協のない仕事への姿勢をたたき込んでくれた“鬼上司”

その影響を与えた人物とは、偕行会の臨床工学統括部長を務め、現在の上司でもある田岡正宏でした。

「田岡に出会ったことは、私にとって人生でいちばんラッキーだったことかもしれない」と語る上野。田岡との出会いは、上野が2009年に偕行会に入職するよりももっと前のことでした。

上野「高校生のころはレスキュー隊員になりたかったんですけど、その夢はかなわず。でも、ひとの役に立ちなさい、と小さいころから祖母に言われて育ったので、その思いはずっと胸にありました。

それで進学の資料をパラパラとめくっていたら目についたのが、臨床工学技士という仕事。“医学と工学の融合”という見出しを見て、数学と物理が得意な自分に合っていそうだなと思ったんです」

こうして臨床工学技士の資格をとって就職した病院で、上野の指導者となったのが田岡だったのです。

しかしそのころの上野にとって、田岡は尊敬する人物というよりは、ただただ恐ろしい存在。小さなことから大きなことまで妥協せず徹底的に対処する田岡の指導は、社会人になりたての上野にとっては、厳しい日々でした。

しかし、田岡の指導を受けた日々がなければ、今の自分はない、と上野は感じています。

上野「思えば、厳しいことをいわれるのは、仕事の手を抜いたり適当に済ませたりしようとしたときでした。社会人として、医療職として、そして技術者としてどうあるべきか。田岡からはどのように仕事に取り組んでいくべきかという姿勢を教えてもらったんです」

上野が入職して5年ほど経つと、田岡は転職して新しい挑戦をはじめました。やがて上野も別の職場を得てキャリアを積みます。

そして2009年、田岡が偕行会に入職することを聞いた上野は、「もう一度田岡さんのもとで修業させてください」と頼み込み、追いかけるように偕行会に入ったのでした。

インドネシアでの透析技術提供事業も、田岡と上野が主体となって推進しています。そのなかで、上野は田岡の姿勢に学びながら、自身も常に上をめざして日々の課題に取り組んでいます。

患者様の生命予後に直結する臨床工学技士の働きを、より磨いていく

パレパレ市アンディマカッサウ病院の透析室は2018年4月6日に工事完了。病院にとっても上野たちにとっても初めての試みは、始動したばかり。

日々起こるさまざまな課題を一つひとつ改善しながら、透析治療の質を高めています。

また、パレパレ市に次いでジャカルタ市の透析クリニックでも、コンサルティングを開始し、2018年8月に工事完了、開業を間近に迎えています。

今後、臨床工学技士として果たせる役割は水質管理の技術提供だけにとどまらないと上野は考えています。

患者様の血液を浄化するダイアライザー(人工腎臓)の性能向上や、透析液の組成の調整、検査データ分析による透析治療の効果測定など、より患者様に近い臨床の分野での技術貢献も、臨床工学技士の知識が必要とされる部分です。

また、インドネシアでは、透析治療に関して、生存率や心血管系疾患の合併率など、日本では毎年発表されているようなデータの蓄積もほとんどありません。私たち偕行会では、インドネシアでの治療データの蓄積も行ない、同国の透析医療の発展に貢献していきたいと考えています。

上野の拠点である偕行会セントラルクリニック(名古屋市中川区)では、上野や田岡がインドネシアでの事業で奮闘しているあいだも、臨床工学技士のスタッフたちが業務を支えています。いずれは上野も、田岡がしてくれたように、信頼できる後進たちに海外事業を任せていこうと考えています。

上野「次に任せる後輩たちには同じ苦労をさせないように、しっかり土台を固めていく段階です。でも臨床業務はいくらやっても、何も問題がなくなるなんてことはありません。データを見て分析し、原因の仮説を立てて検証する、その繰り返しです。日ごろからの勉強も欠かせないですし、これからも取り組むべき課題はたくさんありますね」

治療が必要な患者様の未来が良いものになるように、一歩一歩踏みしめて前進する努力を怠らないこと。常にその基本を見つめながら、私たち偕行会グループは国内そして海外での透析医療の発展に貢献していきます。

取材日 2018.11 Text by PR Table