#09 「日本の介護技術を海外へ」―カリスマ介護福祉士が切り拓く介護職の未来
河合 千恵子
偕行会グループでは介護従事者不足を鑑み、経済連携協定(EPA)のもと、海外の人材をいち早く受け入れてきました。そうした環境の中、2021年春からインドネシア国立ハサヌディン大学の外国人特別講師に就任した、グループホームじょうさい所長・河合千恵子。海外へ日本の介護技術を伝える気概と、介護職の未来に抱く熱い想いに迫ります。
海外向けの介護マニュアル本づくりから始まった、介護福祉士の挑戦
超高齢化社会が加速し、日本では少子化による労働人口の減少は避けて通れない現実として突き付けられています。国民の4人に1人が後期高齢者となり、雇用や医療・福祉などの分野にさまざまな影響を与えると言われてきた「2025年問題」も、もはや目前。介護業界は今、深刻な人手不足が見込まれています。
そうした社会問題への対策として、偕行会グループでは早くから外国人スタッフの採用に注力。EPAに基づいて、2014年から看護師候補者を、2015年から介護福祉士候補者をインドネシアやフィリピンなどから受け入れています。
また、2019年からは技能実習生の受け入れも開始しました。2020年までに4カ国25名の外国人スタッフが、資格取得と専門職としての活躍を目指して偕行会グループの病院や透析クリニックや介護施設での業務に励んでいます。
2021年現在、外国人スタッフの日本での生活をサポートするため、偕行会グループでは海外人材開発部を設置していますが、以前よりインドネシアで透析医療技術の提供に関わっていた現海外人材開発部の阿部一也部長は、インドネシアでは看護師が医療サービスの一部として介護を行っていることに気づきました。
―インドネシアでも徐々に高齢化が進み、看護協会をはじめ様々な方面で『介護』という未知の分野に対して興味を示しはじめている。私たちの介護技術やマニュアルを翻訳して現地に提供できないものか…
そこで偕行会グループでは、国際交流の一環で医療・介護の人材育成もできないものかと模索。まずは、インドネシア語の介護マニュアルを作成する案が持ち上がりました。その適任者として白羽の矢が立ったのが、当時、老人保健施設で課長職に就いていた河合千恵子でした。
河合「何事にもコツコツと打ち込むのが得意というのが、上司の思う私のイメージだったようです。2018年春、海外向けにもなるようなマニュアルを再策定するように指示がありました。利用者様のQOL向上には質の高い介護が不可欠です。用意するマニュアルはきっと、私たちの現場でも役立つものになりますし、それならば一石二鳥だと思って取り組みました」
ところがその半年後、河合に思いがけない話が舞い込んで来たのです。
河合「インドネシアに行ってみようか。そう当時の上司に言われたときは、自分の耳を疑いました。マニュアル制作だけですよね?と聞き返すと、海外の人たちが何を求めているのか、実際に自分の目で見たほうがいいから一度行ってらっしゃいと。個人的な海外旅行の経験もほとんど無く、正直戸惑いもありましたが、せっかくいただいた機会だと思い、チャレンジすることにしたんです」
そして2018年9月、河合はインドネシア・アヴィセナ看護大学へ。将来、日本で働きたいと考えている卒業生に向けて講義や、「食事」・「排泄」・「入浴」の三大介護を中心とした実践的な指導を行いました。すると、「論理的でありながら、日本人特有のホスピタリティも融合された技術だ」と、日本式介護そのものも高い評価を受けたのです。
インドネシアでの講義体験が、介護職の新たな道へと続くひとすじの光に
インドネシアの介護事情は、日本のそれとは大きく隔たりがあります。
まず、インドネシアには「介護」という分野が確立されておらず、介護士という職種もありません。優秀な看護師は都市部の医療機関に集中し、多くの看護師は非正規職員として雇用されている現状です。医療・介護の現場に必要な看護師の技能水準に対しては、人材育成が追いつかず、地域格差も課題となっています。
一方で、インドネシアの高齢化率は日本と同様に増加傾向にあります。2020年の調べでは、総人口2億7,020万人のうち高齢者は約2,890万人。総人口の約10.7%を高齢者が占め、2030年には高齢化社会を迎えると言われています。
インドネシアをはじめ、介護産業自体が構築されていない東南アジア諸国にとって、日本は介護先進国です。身体的・精神的ケアで注目される日本式介護は、企業や団体が連携してパッケージ化し、コロナ禍前から積極的に海外への輸出を目指しています。
そうした背景もあり、河合が行った講義と実践指導は大きな反響を呼びました。
河合「インドネシアでは看護師が提供するのは医療がらみのサービスのみです。患者様にはご家族がずっと付き添い、車いすを押すのも移乗もご家族が担います。介護の概念のないところへ、介助される側、する側を実際に体験していただくデモンストレーションはとても響いたようです。日本からやってきた人間が実際に教えることに魅力を感じていただけたのか、受講した方々がキラキラと目を輝かせて話を聞いてくれてうれしかったですね」
このときの実績をきっかけに、河合は南スラウェシ州にある国立ハサヌディン大学から招聘され、2021年1月、外国人特別講師に就任しました。
河合「介護は技術だけでなく、マインドがとても大切な要素になってくるものです。現地での指導の際、受講生の方々がみなさん初対面にも関わらず、仲良く会話しながら学ぶ姿を何度も見かけました。そして誰もが、『新しいことが学べて楽しい!』『こんな機会をありがとう』って感謝してくださるんです。海外の人がこんなに熱く介護を学び、知らない同士でも同じ目的のもとで恊働できる素晴らしさがある…逆に私自身、日本に持ち帰るべきたくさんの学びをいただきました」
2021年5月のハサヌディン大学での初講義は、時節柄、オンラインでの実施となりましたが、講師体験を通して河合は“海外で介護技術を伝える”という介護福祉士の新しい道を切り拓きました。それと同時に、彼女は日本の介護人材不足の現状を海外から俯瞰的に見つめたことで、介護職の未来に「教育」という道があるのではないかと考え始めたと言います。
「見て覚える介護」から「なぜそうするか」理由づけも明確にした介護へ
河合が介護福祉士の道を目指したのは、中学生のとき。友人に誘われボランティアで出かけた高齢者施設で、はじめて福祉という世界があること、介護という仕事があることを知りました。利用者様に食事の介助をするお手伝いをしながら、「あ、この仕事がやりたい」と直感的に思ったと、彼女は振り返ります。
高校卒業後は、希望通りに介護福祉士の養成専門学校に進学します。2年間みっちりと介護の知識を学び、卒業と同時に介護福祉士の資格を取得。偕行会グループの老人保健施設に入職し、現場経験を積んでいきました。
河合「部署を異動するたび新しい仕事を覚えなければならないんですが、教え方は人それぞれで。とくに新人だった頃は、“見て覚える”が主流でした。覚えながらも、頭の中に浮かぶのは『なぜこうするの?』ばかり。自分なりに先輩に聞き直したり、専門書で調べたり、介護職に進んだ友人に教えてもらって納得する答えをいつも探していました」
理由が分からないまま形だけ教えられることに、ずっと違和感を抱いてきた河合。やがて、自分自身が教える立場になったとき、「見て覚えてね」という教え方はしないように心掛け、試行錯誤しながらベストな方法を見つけていったと言います。
河合「役職をいただいてからは職員の教育をどう進めるかも責務の一つになります。利用者様に今必要な介助は何なのかを、なぜ必要なのかの理由とともに伝え、良い例と悪い例をセットで指導するようにしています。
介護者のひとりよがりな介護でもいけないですし、ご利用者様に配慮する気持ちも持たなければいけない。マインド的にその両方を持って介護に臨んでほしいと、必ず伝えています。それは日本であれ海外であれ、変わりません」
介護は人が相手の仕事であり、マニュアル通りにいかないことも多々。それでも「より質の高い介護の提供」を目指し、河合は自身の経験と知識を糧に“介護人材の教育”という道の創出にも乗り出したのです。
介護職のキャリアの選択肢を増やし、日本での介護職の価値を高める
「きつい」「きたない」「危険」―「3K」という言葉とともに日本における介護の仕事は負のイメージを背負ってきました。近年では「給料が安い」も加わり、介護職の人材不足に少なからず影響を与えています。こうした印象はメディア等の情報に左右されることが大きく、優れた技術については残念ながらフォーカスされる機会がほとんどありません。
しかし、「確かな技術」と「ホスピタリティあふれる対応」は、日本が誇るべき介護技術です。介護職のイメージアップのためにも、河合は介護職の未来の道についても様々な想いを巡らせています。
河合「介護職って、キャリアを積んできた先にあるのは管理職がゴールと言うケースがほとんど。ときにはケアマネジャーになる方もいますが、介護から離れてしまうことも往々にしてある業界です。背景には賃金を含めた待遇面が取り上げられがちですが、偕行会グループはその点をとてもカバーしてくれている実感があります。これまで介護福祉士の業務で想像もつかなかった海外進出も夢ではないですし、自分次第で様々な選択肢がつくれる環境があります。私も今、『教育』という新たな道を広げている最中です」
介護職に従事する後進のために「海外」や「教育」という道を切り拓いてきた河合。与えられたチャンスに果敢に挑み自分自身の夢を実現しながら、介護福祉士のパイオニアとして、これからも介護職の新しい価値を追い続けます。
取材日 2021.12